ポーカー界最高峰の舞台「WSOP(World Series of Poker)」。そのテーブルに座り続けた者には、栄光だけでなく、莫大な賞金が待っている。
2023年に初開催された「WSOP Paradise」では、日本のMasashi Oya選手がUltra High Rollerを制し、約4.5億円($2,940,000)の賞金とブレスレットを獲得したことでも話題となった。

こうした“ドでかい一撃”も、WSOPならではの魅力だ。
1万人を超える参加者が集まる低額トーナメントから、参加費100万ドル(約1.5億円)という超高額イベントまで──あらゆる戦場を制してきた本物の強者たちは、どれほどの賞金を手にしてきたのか。本記事では、WSOPでの獲得賞金ランキングTOP5を紹介する。
1位:Daniel Negreanu|KidPokerという名のレジェンド

- WSOP獲得賞金:$23,572,597(約36億円)
- ブレスレット獲得数:7本
- メインイベント最高成績 :2位(2009年)
- WSOPインマネ数:283回

“金持ちになる”と信じた少年時代
1974年7月26日生まれのダニエル・ネグラヌは、幼い頃から「自分は金持ちになる」と信じていた。高校を卒業する前に1単位を取り切らず中退し、21歳の若さでラスベガスへ。
「ラスベガスに来る前から、昔のWSOPのビデオを全部持っていて、いつか優勝できるって当たり前に思っていたんだ」(2009のインタビューより)
そんな彼が初めて挑んだWSOPでは、Binion’s Horseshoeのスーパーサテライトに出場。のこり2人で通過のところでAAを割られ敗退という苦い経験を味わうことに。しかし、その後、若き挑戦者は“KidPoker”の名とともに、誰も到達できない伝説の存在へと駆け上がっていく。

プレイヤー・オブ・ザ・イヤー唯一の複数回受賞者
WSOPには、年間を通して最も優れた成績を残したプレイヤーに贈られる「プレイヤー・オブ・ザ・イヤー(POY)」という称号がある。ネグラヌはその初代受賞者(2004年)であり、さらに2013年に2度目の受賞を果たした。
この賞を複数回受賞したのは、WSOPの歴史の中でネグラヌただ一人。2004年の初代POYは、当時の冠スポンサーであるToyotaの名を冠して発表された。
WSOPの1シリーズだけでなく、年間を通して活躍できる力こそが“プレイヤー・オブ・ザ・イヤー”の証。ネグラヌはこの記録によって、ぶれない胆力と実力を兼ね備えた本物の王者であることを証明した。
世界を魅了する発信力
ネグラヌはテーブルの外でも発信力を発揮し、長い間“世界一フォロワーの多いポーカーブロガー”として知られてきた。2006年に開設したYouTubeでは、今もWSOP期間にVlogを更新するなど、その姿勢は変わらない。
現在では、“世界のヨコサワ”にその記録は塗り替えられたが、20年近く第一線で発信し続けている影響力は健在だ。
また、2000年代から長くPokerStarsのチームプロとして活動したのち、2019年からはGGPokerのアンバサダーに就任。現在もGGPokerの顔として、世界中のファンから支持されている。
ポーカーブランドの“看板”として長く支持されてきたことも、ネグラヌがプレイヤーとしてだけでなく、時代を代表するポーカースターであることの証でもある。
記録が物語る、トーナメントでの強さ
ネグラヌは、記録の上でも伝説的な強さを誇る。WSOPでの獲得賞金は$23,572,597(約36億円)。ブレスレット7本というタイトル数に加え、インマネ回数は283回と、キャリアの長さと安定感を示す数字が並ぶ。

中でも象徴的なのは、2009年のWSOP Europe メインイベントでの準優勝という成績。メインイベントの優勝経験こそないが、ネグラヌは常に上位で結果を残してきた。
鋭いリーディング、状況判断、そして柔軟なプレイ。ネグラヌの強さは、華やかな記録の裏にある“対応力”にこそある。
Daniel Negreanu|WSOPでの高額入賞Top5
賞金額 | 年 | トーナメント名 | バイイン | 成績 |
---|---|---|---|---|
$8,288,001 約12.6億円 | 2014 | The Big One for One Drop | $1,000,000 | 2位 |
$1,725,838 約2.6億円 | 2019 | No-Limit Hold’em High Roller | $100,000 | 2位 |
$1,178,703 約1.8億円 | 2024 | Poker Players Championship | $50,000 | 優勝 |
A$1,038,825 約9,000万円 | 2013 | APAC A$10K Main Event | A$10,000 | 優勝 |
$755,525 約1.1億円 | 2006 | Circuit Grand Casino Tunica Main | $10,000 | 優勝 |
2位:Antonio Esfandiari|WSOP史上最高の一撃、26億円を獲った“魔術師”

- WSOP獲得賞金:$22,365,691(約35億円)
- ブレスレット獲得数:3本
- メインイベント最高成績:24位(2009年)
- WSOPシリーズインマネ数:51回
“魔術師”がポーカーテーブルに現れるまで
アントニオ・エスファンディアリは、1978年12月8日、イランに生まれた。8歳のとき、父と弟とともにアメリカへ移住。母は数週間でイランに戻り、それ以来、父ひとりが息子たちを育てることになった。
高校卒業後、彼はマジシャンの道を志す。そして19歳のとき、自らの名を「アミール」から「アントニオ」に変更。鼻の整形手術を受けたのも、「“神秘的”な印象を持ってもらいたかったから」と語っている。
マジックの世界で“観察”の力を磨いていたアントニオは、やがてテキサス・ホールデムに出会う。魅了されたのは、トリックよりもリアルな勝負の世界だった。弟パシャもまたポーカープレイヤーであり、家族ぐるみでカードの世界に入り込んでいくことになる。
「マジックとポーカーの共通点?人間をよく観察することだよ」(2023年のインタビューより)
そう語る彼は、“魔術師”としてではなく、“ポーカープロ”として、名を刻み始めた。

WSOP史上最高の一撃、26億円
2012年、アントニオ・エスファンディアリは、WSOP史上初となる$1,000,000バイインの特別トーナメント「The Big One for One Drop」で優勝。その際に獲得した賞金は、$18,346,673(約26億円)にのぼり、これはWSOP単独トーナメントの優勝賞金としては今なお史上最高額とされている。

優勝が決まった瞬間、エスファンディアリは父と抱擁を交わした。印象的なこの場面は、巨額の優勝賞金とともに、WSOPの歴史に刻まれた1ページとなっている。
家族への想いと、父としての今

アントニオ・エスファンディアリの人生で、もう一つ特筆すべき“魔法”があるとすれば──それは、家族の物語だろう。
WSOPでの偉業を成し遂げた瞬間、彼は観客席で見守っていた父と熱い抱擁を交わした。本人も後年のインタビューで「自身のキャリアで最も誇らしい瞬間だった」と語っており、あの抱擁は、少年時代に支え合った父子の物語の結晶でもあった。
現在のアントニオは、3人の子どもの父親として家庭中心の生活を送っており、かつて常連だったハイステークスポーカー番組にも姿を見せることは少ない。
「ポーカーよりも大切なものがある。それは、魔法のような家族との時間さ。」
少年時代のアントニオが何より望んでいたのは、きっと“穏やかな日常”だったのかもしれない。いま彼は、マジシャンとしてではなく、一人の人間として、その夢を叶えている。

Antonio Esfandiari|WSOPでの高額入賞Top5
賞金額 | 年 | トーナメント名 | バイイン | 成績 |
---|---|---|---|---|
$18,346,673 約26億円 | 2012 | The Big One for One Drop | $1,000,000 | 優勝 |
$1,433,438 約2.2億円 | 2013 | One Drop High Roller | $111,111 | 4位 |
$352,832 約5,400万円 | 2009 | Main Event – World Championship | $10,000 | 24位 |
$257,072 約4,000万円 | 2017 | High Roller for One Drop | $111,111 | 11位 |
$256,537 約4,000万円 | 2016 | High Roller for One Drop | $111,111 | 13位 |
3位:Phil Hellmuth|“Poker Brat”──WSOPという舞台に立ち続ける男

- WSOP獲得賞金:$18,200,096(約26億円)
- ブレスレット獲得数:17本(歴代単独1位)
- メインイベント:2回優勝(1989 WSOP、2012 WSOPE)
※WSOPとWSOPE、両メインイベント制覇を達成した唯一のプレイヤー - WSOPシリーズインマネ数:216回
若き“Poker Brat”、24歳で世界の頂点に
1989年、当時24歳だったフィル・ヘルミュースは、WSOPメインイベントで優勝。史上最年少でのメイン制覇という記録を打ち立て、一躍その名を世界に知らしめた。
ファイナルテーブル、最後のヘッズアップで対峙したのは、前人未到の3連覇を狙う絶対王者ジョニー・チャン。それを阻み、王座を奪った若きヘルミュース。この一戦は、世界中を驚かせた歴史的勝利として、今なお語り継がれている。
その若さゆえの大胆さ、時に感情を爆発させる激しさ──そんな姿から、彼は“Poker Brat(ポーカー界の悪ガキ)”と呼ばれるようになった。

あれから35年以上。WSOPを象徴する存在として、今も彼はこの舞台に立ち続けている。
WSOPを愛し、WSOPに愛された男


フィル・ヘルミュースは、WSOPという舞台で生きてきた。彼は数々の記録を打ち立て、“WSOPの顔”ともいえる存在となっている。
ブレスレット獲得数は単独最多の17本。さらに、WSOPとWSOPEのメインイベントを両方制した唯一のプレイヤーでもある。
現代ではTritonをはじめとする超高額バイインシリーズが注目を集めているが、ヘルミュースがこだわり続けてきたのは、WSOPという歴史ある舞台。この舞台で輝くことこそが、彼の誇りなのだ。
ダントツの記録を誇るヘルミュース|“コツコツが勝つコツ”の体現者
実は、TOP5の中でヘルミュースだけが「10億円を超えるド派手な一撃」を持っていない。それでもWSOPという舞台に立ち続け、戦い続けてきた。その積み重ねこそが、歴代最多のブレスレット17本、そして26億円超という莫大な賞金につながっている。
Phil Hellmuth|WSOPでの高額入賞Top5
賞金額 | 年 | トーナメント名 | バイイン | 成績 |
---|---|---|---|---|
$2,645,333 約4億円 | 2012 | The Big One for One Drop | $1,000,000.00 | 4位 |
$1,063,034 約1.6億円 | 2011 | Poker Player’s Championship | $50,000.00 | 2位 |
€1,022,376 約1.6億円 | 2012 | WSOPE €10,450 Main Event | €10,450.00 | 優勝 |
$803,818 約1.2億円 | 2023 | Super Turbo Bounty | $10,000.00 | 優勝 |
$755,000 約1.1億円 | 1989 | WSOP Main Event | $10,000.00 | 優勝 |
4位:Dan Colman|超新星のごとく輝き、静かに姿を消した

- WSOP獲得賞金:$17,413,782(約25億円)
- ブレスレット獲得数:1本
- メインイベント最高成績:31位(2016年)
- WSOPシリーズインマネ数:10回

一撃22億円。23歳の若き超新星、ダン・コールマン(コルマン)
ダン・コールマンが世界の表舞台にその名を刻んだのは、2014年。WSOPの超高額トーナメント「The Big One for One Drop」において、“WSOPの賞金王”ダニエル・ネグラヌとの最終ヘッズアップを制し優勝。
23歳の若さで、$15,306,668(約22億円)という驚異的な賞金を獲得した。
この年、コールマンはWSOPだけでなく、EPTスーパーハイローラーでも春に1位、夏に2位と圧巻の成績を収めている。まさに“超新星の爆発”とでも呼ぶべき快進撃だった。
まるで流れ星──20代で現れ、20代で去った

彼のWSOPの 最後の記録となっている
2014年、当時24歳だったダン・コールマン(コルマン)は、突如としてポーカー界に現れ、一年で賞金総額約30億円以上を荒稼ぎした。そのわずか3年後、2017年を最後に、彼は表舞台から静かに姿を消している。
コールマンは「The Big One for One Drop」で優勝した後、優勝インタビューを拒否。その姿勢には、世間が抱く“華やかなイメージ”とは異なる、彼自身のポーカー観が表れていたのかもしれない。
「プロの人生は華やかではなく、ストレスと不安定さに満ちている。健康を害する生活にもつながりやすく、誰にもプロポーカープレイヤーになることを勧めたくない。」(2+2への彼の投稿より)
そして彼は、ポーカーそのものや、それを“夢”として美化する風潮にも疑問を投げかけた。特に、ポーカー界の広告的な側面──人々の欲望や弱さに訴えるようなマーケティングに対しては、強い懸念を示している。
「いま僕は、たまたま金脈を掘り当てた状態。だからこそ、ちゃんと活かしておきたい。」(HUSNG.COMの2013年のPokerStarsで100万ドル勝ったことに関するインタビューより)
ポーカーの華やかさや価値そのものに疑問を抱きながら、賞賛を浴びても距離を取り続けた彼。自らの矛盾に悩みながら、それでもひときわ強く、静かに輝いた──それが、ダン・コールマンだった。
Dan Colman|WSOPでの高額入賞Top5
賞金額 | 年 | トーナメント名 | バイイン | 成績 |
---|---|---|---|---|
$15,306,668 約22億円 | 2014 | The Big One for One Drop | $1,000,000 | 優勝 |
$1,544,121 約2.3億円 | 2015 | High Roller for ONE DROP | $111,111 | 3位 |
$216,211 約3,300万円 | 2016 | Main Event – World Championship | $10,000 | 31位 |
$187,772 約2,800万円 | 2017 | High Roller for ONE DROP | $111,111 | 16位 |
$111,942 約1,700万円 | 2014 | Heads Up No-Limit Hold’em Championship | $10,000 | 3位 |
5位:Justin Bonomo|“2位の壁”を超え掴んだ栄光

- WSOP獲得賞金:$16,748,857(約25億円)
- ブレスレット獲得数:3本
- メインイベント最高成績:64位(2015年),WSOP Circuit メイン優勝(2008年)
- WSOPシリーズインマネ数:72回
2位の壁がボノボに立ちはだかる

ジャスティン・ボノモが注目を集めたのは、2005年、まだ19歳だった頃。ヨーロピアン・ポーカー・ツアー(EPT)のファイナルテーブルに進出し、“若き天才”として一躍その名を知られる存在となった。
WSOPでの初入賞は2006年、サーキットイベントでの準優勝という鮮烈なスタート。その後も2008年、2011年、2014年と、“あと一歩”の2位が続き、なかなかブレスレットには届かなかった。
“花嫁にはなれない”──2位続きの日々と、初優勝の瞬間
2014年5月31日、WSOPの$10,000 Limit 2-7 Lowball Triple Draw Championshipで、ボノモはまたしても準優勝に終わった。この直後、彼はTwitterに悔しさを滲ませた。
“Always a bride’s maid, never a bride.”
(いつも花嫁の付き添い人。でも花嫁にはなれない。:いつも2位で主役になれないという意味)
しかし、彼は“このツイートをした日に出場したイベント(Event #11: $1,500 No-Limit Hold’em 6-Handed)”で初優勝を飾る。

WSOPでは3度の準優勝を経験し、長らく“最も優勝に近い男”と呼ばれてきたボノモ。ようやくその壁を打ち破ったこの勝利は、デビューからおよそ10年越し、執念でつかみ取ったブレスレットだった。
全てのフィールドで勝ち続ける強さ

WSOP以外にも、TritonやEPTなど、あらゆる世界最高峰の舞台で戦い続けてきたボノモ。それでもWSOPでこれだけの成績を残しているのは、彼の地力の高さを物語っている。
全トーナメントでの賞金合計額”生涯獲得賞金”では、今回紹介した5人の中で最多。世界ランキングでも、ブリン・ケニーと1位を争い続けている。
その姿はまさに、“2位の壁”を乗り越えてきた証。そして、“どの舞台でも勝ち続ける男”の象徴といえるだろう。
Justin Bonomo|WSOPでの高額入賞Top5
賞金額 | 年 | トーナメント名 | バイイン | 成績 |
---|---|---|---|---|
$10,000,000 約15億円 | 2018 | The Big One for One Drop | $1,000,000 | 優勝 |
$801,048 約1.2億円 | 2016 | Poker Players Championship | $50,000 | 2位 |
$700,228 約1.1億円 | 2021 | High Roller No-Limit Hold’em | $50,000 | 2位 |
$449,980 約7,000万円 | 2014 | No-Limit Hold’em 6-Handed | $1,500 | 優勝 |
$413,166 約6,200万円 | 2009 | 40th Annual No-Limit Hold’em | $40,000 | 5位 |
まとめ|世界最高の舞台は、もう遠くない

レジェンドたちの背中は、もう見えているかもしれない
今回紹介したプレイヤーたちは、WSOPで数十億円を稼ぎ出し、誰もが認める“レジェンド”たちだ。
だが、彼らのWSOPメインイベントの最高成績を見ると──
アントニオ・エスファンディアリは24位、ダン・コールマンは31位、ジャスティン・ボノモは64位。
実はこの“メインイベントの順位”という点で、日本人プレイヤーも肩を並べつつある。


2024年、長見恭輔選手が21位(日本人史上最高)を記録。
“世界のヨコサワ”の相棒・ひろきは、2019年に25位、2024年に45位と2度のロングラン。
ヨコサワ本人も、2023年に45位に入り、日本中を沸かせた。
世界最高の舞台は、思っているよりも、ずっと近くにあるのかもしれない。
まずは、挑戦の第一歩を
「自分もいつかWSOPに出てみたい」──そう思った方へ。
いま、日本国内には初心者からポーカーを楽しめるアミューズメントポーカースポットが全国に急増中。
また、誰でも参加できる大規模トーナメント「JOPT(ジャパンオープンポーカーツアー)」や「SPADIE」など、日本各地で開催中。

あなたの一歩が、いつか世界の舞台につながるかもしれない。



